2013年11月25日

大阪セミナーストーリー4

行き先は岡本太郎記念館。

あなたはこの作品を見て何を感じる?

岡本太郎

岡本太郎

岡本太郎

岡本太郎

岡本太郎

岡本太郎


この日は偶然にも岡本太郎記念館の案内をする日だったのでコンシェルジュの話に聞き入る。

家の奥側にある岡本太郎のアトリエがこちら。

岡本太郎 アトリエ

岡本太郎 アトリエ


まるでさっきまで作品をここで描いていたかのような生々しさ。
息づかいまで聞こえてきそうな空気感。

きっと岡本太郎はこの部屋にいる。

そしてサプライズで岡本太郎が実際に使っていた彼自作の太めの筆を触らせていただいた。

岡本太郎 アトリエ


作品を通して伝わること。

岡本太郎


筆の運び、絵の具の凹凸まで目に焼き付けてきた。

確実に岡本太郎とのふれあいがあった。

そして情念のようなものを吐き出したくなった。

何かが奥底から沸き立った瞬間、大阪でのセミナーをテクニック云々ではない自分が自分であるための自己表現の場にしようと決意した。

2013年11月24日

大阪セミナーストーリー3

『セミナーをやること』そしてそれを『DVDで発売する』ということは決まった。

しかしそれが決まった後はお休みの日もセミナーの準備・準備・準備。。。

セミナーが終わるまでまったくと言っていいほど休んだ気にならなかった。

いままでセミナーを開催してきた先達の先生方はこういった影の苦労をされてきたんだということがいやというほどわかった。

サロンワークである整体という仕事は毎日の予約をいつも通り終わらせていけば仕事は終わりという性質。

しかし期日や締め切りのあるシビアな仕事へのモード変換がうまくできずに家に帰ると常にイライラしていた。

そのイライラからか部屋も本が山積みになり散らかって行く。

自分の心理状況が部屋に出てきた。

混沌としている。


しかしやらねば、でもまだ2ヶ月あるし・・・という時期は毎日自分の考えが揺れた。

いわゆるセミナー構成というやつだ。

どのように伝えたらよいのか混迷を極めた時に思ったこと。

それは自分の中にある『狂気』のようなものを自分で引き出さなくては、ということ。

人と対峙し、何かを伝えるのは生易しいことではない。

それには自分が想像し得る自分を越えていかなくてはいけない。

そう思ったある日、ある人の助けを借りようと思い青山へ向った。

そこであの人は僕の中の狂気をあっさりと引き出してくれた。

その人とは・・・

岡本太郎

この日の訪問が最高のヒントに。

岡本太郎


結果、彼の狂気を取り込もうと考えたのは正解だった。

2013年11月23日

大阪セミナーストーリー2

阪でのセミナーのお話をいただいたのはいつだったか・・・

カイロベーシックの社長・古谷氏が突然のアポイントを取ってきたのは僕が4月にニューヨークにいたとき。



ニューヨークに行く前にiPhone、iPadで使える写真比較アプリ『ComPhoto』を発表して同業者のネット界隈を賑わせた時に僕を発見したらしい。

そこから古谷社長の中でアプリのこと以外にも頭蓋骨を操るキャラのおかしなヤツだ(笑)と僕のことがどうにも引っかかったようだ。



ニューヨークで休暇中の僕はPCに届いた熱いメールのことは無視してそんなに考えもせずに休みを楽しんだ。

だってカイロベーシックなんて会社は知らないし社長の古谷氏の名前も知らなかったから。
(整体業界ではかなり有名な会社であることはずいぶんと後から知った)

そして東京に帰るとすぐに古谷社長は僕のもとにやってきた。

そこからいろんな話になり僕の頭蓋骨セミナーに毎月参加してもらい一緒に頭蓋骨調整の勉強をした。

そのうちに治療家インタビューのDVDのお話をいただく。
タイトルが『成功治療家インタビュー』だからイヤだ、とか言いながら何度か断った。
何が『成功』だよ、とか毒づきながら(笑)

でも古谷社長の熱い想いに負けて結局やってみることに。

し・か・し、未体験ゾーンのお仕事だったがこれまたおもしろいことの連続。

当日のインタビュアーでもある古谷社長の意向をひっくり返して好きなようにやらせてもらったおかげで(笑)同業以外人やクライアントの誰に見せても面白いと言ってもらえる作品になったようで喜ばしい限り。





夏も終わりの頃だったか、古谷社長はセミナーの話を僕に持ってきた。

正直なところ僕は自分の技術を自分のサロンで小さく披露するぶんには問題ないと思っていた。
わざわざ大阪まで行くのもどうかと思ったけどセミナーをやるくらいなら問題はない。

しかし社長の本当の意向はそうではなかった。

僕のセミナーをDVD化するためのセミナーをやってくれ、とのことだった。

僕は戸惑った。

別に有名になりたいわけでも業界に打って出たいわけでもないからね。

これまた何度かお断りをした。

しかし、逆境ともいえるこの仕事はもしかしたらオモシロイかもしれない・・・
考えにまったく無かった概念の仕事をやることで自身の成長やチャレンジ精神の開拓ができるのでは?
自分の中で熟成させてきた技術を世に問うということをしてみるのもおもしろいかも・・・


業界向けのDVD発売という自分の考えの範疇にはないゾーンの仕事は『楽しそうだ』ということと『闘い』がキーワードの僕は社長の挑戦を受けて立つことに。

理由はそれだけ。

やはり僕にとってはどこまでいっても仕事が遊びで遊びが仕事。

何をやってもこの精神だけは変わらないようだ(笑)

2013年11月22日

大阪セミナーストーリー1


<しばらくはこのセミナーのための準備をしておりましたためブログを不在にしておりました>



去る11月10日に大阪にて(株)カイロベーシック主催で『ことう式 あたまの整体』セミナーを開催させていただきました。

今年の春頃から自分のサロン内で開催しておりましたが何と言っても初めてのサロン外でのセミナー開催。

これは(株)カイロベーシックさん(業界での信頼が厚い業界ナンバーワンの教材販売会社)から呼ばれての講師でしたので絶対に失敗は許されないという状況でのセミナー開催。

しかも・・・この日のセミナーの様子をノーカットで収録して年明けにはDVDになり全国の療術家に販売されるという異常事態(笑)

業界でまったく知られていない無名の僕がいきなりこの業界でそこまで売り出してもらえるのは奇跡に近い。

この9年の頭蓋骨の研究の結晶が形になりました。

でも恐いよね、業界でもまったく無名の僕のテクニックがいきなりプロ向けの頭蓋骨調整の教科書となってしまう可能性。

えーウソー!そんなことってあるんだねー、なははー(笑)




はい、冗談は終わり。




正直な所、あの日のセミナーは僕の魂と整体師人生をこれでもかとぶつけてきました。

いきなり業界のメジャーな場所に飛び出した僕のことをおもしろく思わない輩もいることだろう。


まずはあの日のセミナー参加者の16名は最初セミナーの出だしに戸惑ったと思う。

だけどその先にはDVDを購入するであろうたくさんの療術家がいるんだ、生半可な気持ちでリングに上がるわけにはいかない。

ヘタすりゃ僕の頭蓋骨のテクニックが業界のごくごく一部だろうがスタンダードになってしまうかもしれないのだ。

あの日、あのセミナーをライブで体感したセミナー受講生16人、カイロベーシックのスタッフ、ハワイから駆けつけて僕のサポートをしてくれたエジー・カーチス・イヤウケヤ、最高の同志であるチームフミユの面々、そして興味本位でこのDVDを買ってしまうであろう療術家達。

この人達すべての想像を上回り、さらに全方位を裏切るくらいのセミナーをしなければコトーがセミナーをやる意味がないと勝手に思ってたから。

予定調和の割にグダグダ感溢れてハッピーエンドにならないような無駄にTo be continuedなセミナーなんて誰がやるか(笑)

そんなありきたりのセミナーをやるんなら僕が出る必要はない。

逆にそんな療術家は捨てるほどいるんだしそんなんだったらあのカイロベーシックが僕を指名してくるはずがない。

僕だって業界でのポジションも一応わかってるよ(笑)

でも何度も何度も会ってミーティングをしてきたカイロベーシックの古谷社長ですら知らない僕の裏の顔があの日に出たのでは。


今回のセミナー開催までやセミナーの最中の気持ちなど今回の顛末を何回かに分けて書いていきたいと思います。