母は中学校の養護教諭(保健室の先生)を務めており日々生徒と格闘していたようだ。
僕はたまに母親の学校に遊びにいった。
僕の目から見ても母は生徒から人気があったように映った。
今振り返るときっとガチで生徒とぶつかって問題解決をしていたんだろう。
その頃から母のハッキリとした物言い(いわゆる毒舌ってやつ? 笑)には愛があったのだと思う。
何か間違ったことがあると同じ学校の先生や校長先生とも激しくやり合うくらいの気概を持った人だった。
そんな血も確実に僕は受け継いでいる。
そんな両親の下に生まれて幸せだったかというと子供自分の僕はそうは思っていなかった。
両親ともに忙しくて小さい頃の僕と弟は祖母や叔父、叔母に育てられたようなものだ。
正直なところ両親は家庭を犠牲にしていたのかもしれない。
大人になればわかるけど子供時分の僕にはそれがわからなかった。
お友達の家に行けばお母さんが手作りのクッキーを出してくれる、父兄参観にも一度も来てもらったことはない。
なんでお母さんは僕のそばにいないの?といつも思っていたしそれがよく理解できなかった。
愛情不足だった。
子供の心は正直だ。
その頃の僕は重度のアトピー疾患に苦しみ季節の変わり目ごとに喘息発作を起こして病院に担ぎ込まれたこともあった。
今なら理解できるがそれは体調不良は愛情不足の裏返しということ。
子供は言葉でそれを伝えられないしそれを補う術もないからカラダがしっかりとサインを出すのだ。
まさに、な感じであった。
それでも祖母のおかげで端から見れば普通っぽい生活は送れていたように思う。
(つづく)
前回までのお話
Road To Seitai Life 1
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